大学教授が考案・開発した、音響3D。初めて体感する脳幹サウンドであなたの聴覚と脳をエクササイズする
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創造力を発揮して成功を得るには?

 古くから伝わる四字熟語やことわざ、名言には、先人たちの知恵が凝縮されています。国や時代背景、慣習が異なるにもかかわらず、先人の言葉が現代に生きる私たちの心に染み入るのは、古今東西変わることのない、人としての生き方や、心のあり方、人と人とを結ぶ絆の大切さを教えてくれるからでしょう。今回は、アメリカが生んだ発明王、エジソンの名言を彼の発明品と共に紹介していきます。

努力と思索こそが成功の母である

 1922年(大正11年)、アメリカに渡った星一(福島県いわき市の実業家で作家・星新一の父)と、ロックフェラー研究所で細菌学の研究をしていた野口英世が、トーマス・エジソン(1847〜1931年)に対面した際に贈られた言葉。この文言に続けて、「お互い現状に満足せず、未来に目を向けて努力と思索を続けよう」と語っている。

発明品を商品化し、ユニークな方法で販路を開拓

 7月31日は、30歳のエジソンが蓄音機を発明した日です。そこで、発明記念日にちなんで、エジソンの成功の秘訣に迫りたいと思います。

 彼は21歳のときに、電気学の実験的研究に感銘を受け、電気というエネルギーを数多の発明品に変えてきました。当時、エジソン以上に評価を受けた発明家はたくさんいましたが、エジソンの名前のみがクローズアップされ、今なお発明王として賞賛されるのは、努力と思索を続けてきたほかに、PR力、販売力に人一倍長けていたからだと言われています。

 エジソンの研究所では、電話機の改良、蓄音機の発明と改良、蓄電池の実用化、白熱電灯のシステム開発、活動写真カメラなどの研究と実用化が同時並行して行われました。そのわけは、発明品が商品化するまで時間がかかるということを、エジソンが早期から気付いていたからだと言います。

 また、発明品が商品として普及するには、その環境を整えることが重要で、ある地域で成功するためには、グローバルな視点で環境を整えることだと語っていました。彼は、電灯を開発した直後、電力供給会社を設立、事務所を構え、電気・電力を得るビジネスを展開して大金持ちになります。当時のアメリカは、研究所は研究開発中心で、商品化や販売には関心が向いていなかったため、非常に斬新な発想だったのです。

 さらに、現代のようにCMもない時代に彼が利用したのは、マスコミや著名人の活用でした。あるとき、パリから有名なオペラ歌手が来ていると知ったエジソンは、迎えの馬車を差し向けました。午前2時過ぎ、車中で居眠りをしていたオペラ歌手は、周囲が突如賑やかになり、辺りが急に明るくなったことに驚きます。エジソンが発明した電灯が木や歩道に一斉に点灯されたのです。この歓迎に感激した彼女は、エジソンをヨーロッパでも、「発明界のナポレオン」と褒め讃えたと言います。エジソンは、蓄音機の発明の際に、ナポレオンに似せた自分の肖像画を描かせて宣伝に使い始めたそうです。

心を進化させ、すべてはひとつに結びついている

 数々の発明の商品化で、さぞや財を成したと思われるエジソンですが、資金管理能力には疎かったようです。商品化で利益を得ると、彼はそれを次の研究費につぎ込みました。そのため、利益をスタッフに還元するために借金をすることもあったと言います。彼がそこまでして研究に打ち込んだ理由は、商品開発の根底に「大勢の人に役立ち、喜ばれるものをつくる」という思いがあったからです。

 彼は発明品が商品となったときに、可能な限り値段を安くすることに力を尽くしていました。まずは消費者が購入可能な値段を設定し、そのコストまで下げる工夫をしていたのです。そのおかげで、電球は1ドル25セントから22セントに下がりました。

 また、商品が普及する前には、高額でも買ってくれそうな客を見つけ、デモンストレーションによる販売に注力しました。その商品の一つが蓄音機。販売相手の一人はチベットのダライ・ラマで、「僧侶たちが、録音した高僧の生の声で読経を聞くことができれば皆が喜ぶ」と考えたのです。目論見通り、録音された自分の声を聞いたダライ・ラマもたいそう喜び、商談が成立したそうです。さらに、宮廷や貴族の女性を喜ばせるために、新しい機械を欲していたドイツ皇帝ウィルヘルムへの販売にも成功しています。

 その後、エジソンは当時の俳優や詩人、音楽家、実業家、政治家などの声や演奏を蓄音機に吹き込み、その様子を新聞や雑誌に報道させました。この宣伝によって、「肉親や友人の声を残したい」という注文が殺到し、製造が追いつかなくなるほどでした。

 この他にも、パリやロンドン、アメリカほか、世界博覧会でユニークなPRを行い、何千万人もの未来の消費者に夢や希望を与えました。1881年にパリで開かれた電気博覧会では、世界最大の発電機をつくって1200個の電灯に明かりを灯したそうです。

 エジソンの奇抜な商品宣伝法や、研究への飽くなき挑戦の真の目的は、“人々の生活を豊かにすること“で、そのための思索と努力に、人の何倍もの時間とエネルギーを費やします。死の床につくまで、その情熱の炎は消えることがありませんでした。

 エジソンは、「これからの機械文明を生きるには、心を進化させなければならない。人間があらゆる存在からパワーを感じられるようになれば、すべてはひとつに結びついていることがわかるようになるだろう。私の研究は、すべて宇宙からのメッセージを受け止め、練り上げただけなのだ」という言葉を残します。

 まさに、機械文明の真っただ中に生きる21世紀の私たちは、エジソンの残した言葉の意味を考えながら、希望ある未来を思い描きたいですね。

(構成・文/松岡宥羨子)

 

参考文献/『快人エジソン』(日本経済新聞社)

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