古くから伝わる四字熟語やことわざ、名言には、先人たちの知恵が凝縮されています。時代背景や慣習が異なるにもかかわらず、先人の言葉が現代に生きる私たちの心に染み入るのは、過去も今も変わることのない、人としてのあり方や、人と人とを結ぶ絆の大切さを教えてくれるからでしょう。今回は『韓非子』『平家物語』から、知恵を拝借したいと思います。
「老馬の智」は、「ものには、それぞれ学ぶべき点がある」とのたとえ。中国・戦国時代の紀元前3世紀の思想家、韓非の著書、『韓非子(かんぴし)』の「説林(ぜいりん)篇」に記されている。「老いたる馬ぞ道を知る」とは、一谷の奇襲攻撃の際に、武蔵国の別府小太郎が自分の父親の教えを源義経に進言した内容の一文(『平家物語』巻第九)。
新ドラマの予告でにぎわう毎秋。個性豊かなドラマがお茶の間を賑わしそうですね。その中の一つ、『馬子先輩の言う通り』は、寝ても覚めても頭の中が馬でいっぱいの美女・馬子と、彼女に惚れた競馬知識ゼロの豊が展開する“競馬ラブコメディ”で、実際の競馬レースの結果によってストーリーが変わるという、前代未聞のドラマだとか。そこで今回は、“旬”にちなんで、馬にまつわる「故事」を紹介したいと思います。
馬は高度な知能を持つ家畜として、軍用や労役に使われ、人間に重宝されてきました。源義経が一谷の合戦で「ひよどり越え」を成功させたのも、馬の功績が大きいですよね。もちろん、人間のほうも馬の性質を熟知していなければなりません。『平家物語』には、「雪は野原をうづめども、老いたる馬ぞ道を知る」と進言した別府小太郎の言葉に義経が感心するシーンがありますが、同様の話は紀元前7世紀の中国の故事に登場します。
中国・春秋時代の斉(せい)の桓公(かんこう)が、小国・孤竹(こちく)を討って帰路についたところ、出立した春とは異なり、冬になっていたため、山中、道に迷ってしまいました。隊長たちが途方に暮れる中、名臣・管仲(かんちゅう)が、「こんなときには、年老いた馬が本能的な感覚で道を探し当てるものだ」とあっさり言ってのけます。
管仲の言葉に従い、一頭の老馬を放ったところ、馬は周囲の様子を探ったのちに、ある方角に進み始めました。そして、もとの道に行き着いたのです。馬の後について進んだ軍兵たちも、凍えることなく無事に行軍できました。
老いた馬は独自の知恵を持っており、特に道の判断には迷うことがないのだと、管仲は知っていたのでしょう。平家物語の別府小太郎の進言も同様です。
『韓非子』には、この話のあとに、「管仲や隰朋(しゅほう)のような賢人でさえ、時には、老馬や蟻を師とすることをはばからない。今時の連中は、自分が何でも知っていると思って威張っている」との戒めが書かれています。つまり「老馬の智」とは、「人はそれぞれ得意とするものや特徴を持っているのだから、自分では取るに足らないと思っている相手からも学ぶことがあるのだ」ということではないでしょうか。
自分がわからないことは、わかったふりをしてやりすごさずに、人に聞いたり調べたりして、確実に自分のものにしたいものですね。その地道な姿勢が、己自身を助けることにつながるのだと思います。
(構成・文/松岡宥羨子)
※参考文献・『中国故事物語』(河出書房新社)『故事・俗信 ことわざ大辞典』(小学館)