古くから伝わる四字熟語やことわざ、名言には、先人たちの知恵が凝縮されています。時代背景や慣習が異なるにもかかわらず、先人の言葉が現代に生きる私たちの心に染み入るのは、過去も今も変わることのない、人としてのあり方や、人と人とを結ぶ絆の大切さを教えてくれるからでしょう。今回は、ビジネスシーンのみならず、プライベートな場面でも役立ちそうな中国の“たとえ話”と教訓を紹介したいと思います。
一度、君主の寵愛が失われると、気に入られたところも仇となり、罪の原因になることのたとえ。中国・戦国時代、紀元前3世紀の思想家である、韓非の著書、『韓非子(かんぴし)』の「説難篇(ぜいなんへん)」の中に記されている。説難には、遊説(ゆうぜい。自説を説いて回ること)のむずかしさと、その方法が説かれている。
夏が旬の甘くみずみずしい果実、桃。中国では古来より、邪気を祓い、不老長寿をもたらす果実と伝えられ、「桃」が登場する格言や“たとえ話”も多く存在します。その一つに「余桃の罪」という話があります。
昔、衛の国に弥子瑕(びしか)という美少年がおり、君主・霊公に愛されていました。ある日、弥子瑕は母が病気になったと知り、君命と偽って、無断で霊光の車に乗って母親の見舞いに駆けつけます。国法では、君主の許可なく車に乗った者は足斬りの刑に処されますが、かえって「孝行息子だ」と褒められます。また、霊公と行った果実園で口にした桃がとても美味しかったので、弥子瑕は残りを君主に献上すると、「自分が食べることも忘れて私に食べさせるとは」と、喜んでもらえました。ところが、いつしか弥子瑕の容色が衰えて寵愛が薄れると、彼は罰せられることになるのです。偽って車に乗った罪、食べ残しの桃(余桃)を食べさせた罪を咎められたのでした。
以前は褒められたことが罪の原因になる……。弥子瑕が罰せられたのは、君主の愛憎が変わったためで、行いそのものには変わりがありません。韓非子はこのたとえ話を、「説難篇(ぜいなんへん)」の中に記し、「遊説の士が、心に抱く決意を実行する際に大事なのは、相手(君主)の心を洞察して、ずばり説き当てることだ」と述べています。相手の心を察することができず、貴人に対して、単に悪行を咎めたり、できないことを強いれば己の身が危うくなるからです。そこで韓非子は、「相手の得意としていることを賞賛し、恥じていることは言うな」「相手が、個人的に行いたいと思っていそうなことは、公のためと言ってこれを強いよ」「相手に賛成するときは必ず立派な行いだと明言し、それが個人的利益になることもにおわせる」などと述べ、“最後に例をあげて自説を固めよ”と伝えています。「余桃の罪」はその一例として登場するのです。
遥か昔の賢人の教えは、21世紀の現代にも通じるものがあります。自分の意見を通したいなら、まず相手の心を見抜き、心に沿うようにして是非を直言する。そして自分の考えが「相手の得になる」と説得する。そのとき、自分が相手からどう思われているのか見極めることも重要であると。それによって言葉の選び方、話の進め方も変わってくるわけです。この教えは、現代の私たちも広く応用できそうですね。(構成・文/松岡宥羨子)
参考文献・『世界の故事名言ことわざ総解説』(自由国民社)、『書道研究 日本書藝』(大日本書芸院)