3月を迎えて気温が上がり、過ごしやすくなってきましたね。大地の温かさを感じた虫が冬眠から目覚めて地上に出てくると言われる時期、すなわち啓蟄(けいちつ)を経て2週間ほどで春分に入りますから、本格的な春の訪れもあと少しです。
啓蟄、春分は二十四節気(にじゅうしせっき)の一つです。二十四節気とは、黄道(こうどう。天球上における太陽が1年間に動く道筋)上の黄経0度を「春分」として、一周(1年)360度を15度ずつに分けた24個の分点で、各々季節に関する名称が付いています。紀元前5〜3世紀頃の中国で、太陰暦に代わる暦として発案され、季節を知るための指標とされました。日本には江戸時代に伝わったと言われています。
二十四節気は、小寒・大寒、立春・雨水・啓蟄(345度)・春分(0度)・清明(15度)・穀雨・ 立夏・小満・芒種・夏至(90度)・小暑・大暑・立秋・処暑・白露・秋分(180度)・寒露・霜降・立冬・小雪・大雪・冬至(270度)の計24です。日本では二十四節気に、さらに日本の季節に合わせた、土用、節分、彼岸、八十八夜、入梅、半夏生、二百十日を「雑節」として加え、独自の暦を作りました。
2014年は3月6日が啓蟄の入りになります。この時期は雨が多く、雪が降ることもあり、天候が不安定ですが、一雨ごとに気温が上がって日差しも暖かくなってきます。
啓蟄を迎える頃は、梅の花が見ごろとなる地域も多いことでしょう。梅は奈良時代に中国から日本へ伝わり、当時の貴族は梅の花を鑑賞する宴を開き、和歌を詠みました。万葉集にも梅を詠んだ歌がたくさん登場します。平安時代になると、梅に代わって土着の桜に関心が向けられ、愛でられるようになったと言います。
平安時代の貴族で、学問の神様として知られる菅原道真(845〜903年)は、梅の花をこよなく愛した人でした。晩年、藤原時平の策略により京都から太宰府(だざいふ)に左遷される際に、屋敷の庭に植えられていた梅の木に別れを惜しんで歌を詠みました。
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ梅の花 主なしとて 春なわすれそ」(春風が吹いたら、香りをその風に託して太宰府まで送り届けてくれ、梅の花よ。主の私がいないからといって、春を忘れてはならないぞ)
伝説によれは、道真が京都を去ると、梅は一夜のうちに太宰府の主のもとへ飛来して根を下ろしたと言い、福岡県の太宰府天満宮の境内には、その梅が御神木「飛梅(とびうめ)」として祀られています。歌を詠んだ道真の屋敷跡である、京都の菅大臣(すがだいじん)神社の本殿前にも飛梅があります。また、道真を祭神として祀る各地の神社には、道真とゆかりの深い梅が植えられており、毎春、境内を彩っているのです。
神社以外にも、梅が咲き誇る名所は全国にあります。水戸の偕楽園で開催されている野点(のだて。野外で行う茶会)など、風流なイベントを楽しめるところも多いので、足を運んでみてはいかがでしょうか。花を愛で歌を詠み、宴を開いていた遠い時代に思いを馳せながら、春を告げる梅の花を観賞するのも趣がありますよね。
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